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HISTORY

先祖の歴史

潜道家:
潜道という名を電話帳などのデータ・ベースで調べてみると非常にまれな名であることがわかる。全国でも10件程度のようだが、そのほとんどが、三重県南勢町(現在の)伊勢路の出身者のようである。ここは国道260号沿いになるが、この260号が伊勢神宮から迂回してつながっている道との交差点が実に字潜道(くぐりみち)と呼ばれている。2代前の祖父がこの村の出身であった。といっても、この祖父は隣の五ヶ所の出身であり、その地の西という家の生まれであったようだ。この西家から潜道家に嫁いだ姉に子供ができず、自分の姉の養子になった。このようなことは当時は珍しいことではなかったかもしれない。この祖父は潜道楠次郎(くすじろう)といったが、比較的頭のよい人だったようだ。その当時の明治後期の動きは、立身出世をほとんどの若者が意識し、実際に行動していたのだろう。特に祖父のように頭がよければ、のんびりと住みやすいが退屈な地域から出たがるのも無理もない。戸籍を見ると、結婚していた妻を離縁し、最も近い都会である名古屋に出ている。祖父は警察に勤め、弁護士の資格も得、任地の豊橋市の人名禄では、若干お世辞もあるだろうが『末は県知事か』等と紹介されている。日本の領土であった(?)台湾への出張の記録もある。ところが東京に研修にきていたときなんとチフスに罹り、現在の品川区荏原の伝染病隔離病棟で死亡してしまった。残された妻はるゑ( 1997?年死亡)と二人の幼児( 鍳「ただし」、幸江)は貧窮生活を送る。この鍳が豊橋市2番目のちくわ製造業のやまやの矢野信子と結婚して生まれたのが隆、すなわち私である。ちなみにやまやは現在なくなっているが、結婚式の仲人は現在も豊橋市で知られているヤマサちくわのオーナーであった。さて、潜道という名の由来であるが、現地にて調査もしてみたがはっきりしたことはわからない。潜道(くぐりみち)という四つ角を見下ろす様に岩城跡がありそれに敬意を表すために頭をかがめたという話もある。この城自身は剣術家の愛洲移香の弟が城を作ったが、織田信長の攻撃でひとたまりもなく落城したらしい。 字潜道に住む潜道哲夫氏は子供のころ、この廃城で遊んでいたところ、錆びた鎧などが出てきたと証言している。三重県ということで海に関係があるような印象を与えるが、場所自体は海から数キロ中に入ったところで、昔の人の距離の感覚からは里というところであろう。

経歴

文子:

東京女子大学分理学部卒業(発展途上国の開発論を勉強)
海外コンサルティング企業協会
米国コーネル大学日本語教育講座
早稲田大学大学院商学研究科修了・論文博士
湘南短期大学助教授
高崎経済大学教授
拓殖大学商学研究科教授・副学長
経営倫理学会会長・日本経営倫理士協会理事長・人事院倫理審査会委員
専門分野:CSR、社会的起業家精神、地方創生、スポーツ経営学

隆:

1954/6 静岡県生まれ(のちに東京に)
1978東京大学工学部修士(含:デンマーク研究所インターン、ロンドン大学UCL校交換留学)
1987米国イェール大学でMBA
1983-1998(株)千代田化工建設(研究所、新規事業開発、環境分野国際営業、経産省系ODA団体出向)
1998-2016日本ミシュランタイヤ(営業事業部長、人事、トレーニング、サポート部門)
2018-2023専修大学経営学部特任教授(グローカルイノベーション)
専門分野:国際ビジネス、経営情報、機械学習、Web3

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