先祖の歴史(更新:2007/03/04)
潜道という名を電話帳などのデータ・ベースで調べてみると非常にまれな名であることがわかる。全国でも10件程度のようだが、そのほとんどが、
三重県南勢町伊勢路の出身者のようである。ここは国道260号沿いになるが、この260号が伊勢神宮から迂回してつながっている道との交差点が実に字潜道(くぐりみち)と呼ばれている。2代前の祖父がこの村の出身であった。といっても、この祖父は隣の五ヶ所の出身であり、その地の西という家の生まれであったようだ。この西家から潜道家に嫁いだ姉に子供ができず、自分の姉の養子になった。このようなことは当時は珍しいことではなかったかもしれない。
この祖父は潜道楠次郎(くすじろう)といったが、比較的頭のよい人だったようだ。その当時の明治後期の動きは、立身出世をほとんどの若者が意識し、実際に行動していたのだろう。特に祖父のように頭がよければ、のんびりと住みやすいが退屈な地域から出たがるのも無理もない。戸籍を見ると、結婚していた妻を離縁し、最も近い都会である名古屋に出ている。
祖父は警察に勤め、弁護士の資格も得、任地の豊橋市の人名禄では、若干お世辞もあるだろうが『末は県知事か』等と紹介されている。日本の領土であった(?)台湾への出張の記録もある。ところが東京に研修にきていたときなんとチフスに罹り、現在の品川区荏原の伝染病隔離病棟で死亡してしまった。残された妻はるゑ(1997?年死亡)と二人の幼児( 鍳「ただし」、幸江)は貧窮生活を送る。
この鍳が豊橋市2番目のちくわ製造業のやまやの矢野信子と結婚して生まれたのが隆、すなわち私である。ちなみにやまやは現在なくなっているが、結婚式の仲人は現在も豊橋市で知られているヤマサちくわのオーナーであった。
さて、潜道という名の由来であるが、現地にて調査もしてみたがはっきりしたことはわからない。潜道(くぐりみち)という四つ角を見下ろす様に岩城跡がありそれに敬意を表すために頭をかがめたという話もある。この城自身は剣術家の愛洲移香の弟が城を作ったが、織田信長の攻撃でひとたまりもなく落城したらしい。 字潜道に住む潜道哲夫氏は子供のころ、この廃城で遊んでいたところ、錆びた鎧などが出てきたと証言している。
三重県ということで海に関係があるような印象を与えるが、場所自体は海から数キロ中に入ったところで、昔の人の距離の感覚からは里というところであろう。
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