江戸の二大悪所と言えば,花街と芝居小屋。時代も下って、向島と並んで明治時代に発達した六大花街のひとつ が神楽坂です。花街に関する総合的な研究と神楽坂の成立については加藤(2005
 
飯田橋駅はJR,地下鉄(有楽町線、南北線、東西線、大江戸線)と複数の鉄道が乗り入れています。神田川・日本橋川が水上輸送として重要な役割を果たし たころ、水上から鉄道への貨物輸送の積換えターミナルとして大変栄えていたそうです。荷主・運送業者が夜な夜な神楽町で盛り上がっていたのかもしれません。 JRは外堀に沿って駅があり、新宿側の端が西口と水道橋川の端が東口となっています。
 
ここでは飯田橋駅のもっとも新宿より、JRの西口方面に出て外堀通りに出て見ます。ここが神楽坂下の交差点です。少し市谷よりにおほろ沿いに戻ってみると、ほどなく積極的に各種アート・イベントを後援しているブリティッシュ・カウンシルに到着します。2002年のワールドカップの時にはサッカーを題材にしつつも、ちょっと宗教的な写真展も開催されていました。ブリティッシュ・カウンシルの手前の路地を右に少し上がっていくと周囲の雰囲気に余りそぐわない「アグネス・ホテル」、そこの一段掘り下げた位置に広間となっているチャペルで知り合いの演出家が、ひまを持て余している貴族階級が普段過ごしている所謂カントリー・ハウスに出張して且つ貴族の生活をパロディーとしてみせるシェークスピアの次の時代にはやった英国劇を実験的に上演したことがありました。さらに北側の住宅街に入っていくと「春の海」で有名な作曲家の宮城道雄記念館(http://www.miyagikai.gr.jp/kinenn.htm)が忽然と現れます。
 
神楽坂下の交差点に戻ると、南側には道路からだとちょっと見つけにくいですが,外堀を運河に見立てた東京では珍しい水際のカフェ、Canal Cafeがあります。テレビ・ドラマでも良く使われていますから実際に見ると、記憶にある方も多いと思います。
 
JR東口前で牛込橋を渡って見ます。すぐ見える警察病院の脇の道を右に入ると与謝野晶子、鉄幹の住居跡、警察病院の前を左側に行くと、明治天皇の希望で東京に設立された伊勢神宮の分社である東京大神宮があります。神楽坂も含めてこのあたりは小粋なフレンチが多く見受けられ、「ちょっとカルチェ・ラタンの感じ」などと言う 人もありますが、近くにあるフランス人学校、リセ・フランセーズの所為でしょうか。
 
外堀どおりの北側に神楽坂上を目指し神楽坂に沿って歩いてみましょう。坂の途中で振り返って下を見ると、広重が江戸名所図会で描いた構図。邪魔な人工物の中にも確かに江戸の情景が浮かび上がってきます。ところで神楽(かぐら)の由来は,現在では早稲田大学のそばにある流鏑馬で知られている高田八幡(穴八幡)のお神楽に由来しているそうです。
 
神楽坂に直角に小さな路地が多くあることに気が付きます。。そのひとつが向かって右手にある本多横丁。ちょっと入ってすぐ左手の鰻屋、つつみ。あるとき「小野ですけれど」と言う予約が。そしてお店に来たのがジョン・レノン、というのはこのあたりでは有名な話。
 
坂のほぼ中央,毘沙門天のあたりの右側,うどんすきで有名な烏茶屋を曲がった袋小路にある一見小汚い木造民家風の飲み屋。この奥をさらに入っていくと一軒家風の御座敷が並ぶ狭い路地を抜け ていきます。この民家風の飲み屋さんは10年前に某広告代理店有志編集の今となってはクラシックの「東京いい店や○る店」で紹介された店の中でもかなり異色な伊勢藤と言う店。お客の声が大きいと「静かに飲みましょう」と注意する親父がいる不思議なところ。ぴんと張り詰めた店の雰囲気は一度経験する価値があります。
 
もう少し神楽坂に沿って寄り道をすると神楽坂上の交差点に到着します。この角に余り御上品とはいえないビルが。これは占いの細木数子さんのスタジオ。この人は日本で数人しかいない,使用制限無しのアメックスのブラック・カードをお持ちだと聞いた事があります。
 
神楽坂上の交差点をわたり,さらに新潮社のほうにすすんでいくと東西線神楽坂駅あたりの右側に赤城神社があります。ここでは2001年より神楽坂演劇祭(http://members.tripod.co.jp/asikaproject/)と称したイベントが真夏に行なわれています。私はタイミングが合わず,残念ながら行ったことがありませんが,宗教的な空間で出演者も観衆もなんか変な気分になって演劇が行なわれるというのは、演劇本来の姿なのでしょうか。
 
神楽坂上から東に向かうと高速の下を流れる神田川に遭遇します。ところでこの神田川,早稲田のほうから流れた来たものが、飯田橋で突然直角に左に曲がり御茶ノ水,秋葉原を通って、両国橋あたりで隅田川に注いで行くのは不自然だと思いませんか?
 
これは徳川幕府1620年ごろ駿河台を掘割し人工的に付け替えたからです。飯田橋が北の端とすると,江戸城の南側は日比谷の入り江(所謂江戸湊)。神田川(旧平川、小石川)はこの江戸湊のほうに元々流れていたのを、土砂が堆積して港がつかえなくなるのを防ぐため,川の流れの向きを変えさせたわけです。その後神田川は飯田橋で今の日本橋川につなげられました。飯田橋を基点とし日本橋,八丁堀,江戸橋など、花のお江戸の中心に流れが繋がっていきます。
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